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無償の愛と自己犠牲の愛の違いについて

 

 

【記事執筆者:心理カウンセラー畠山ユキ子】

一般社団法人全国心理技能振興会  

認定心理カウンセラー:2011年から4700件以上(2022年現在)のカウンセリングを実施

愛着障害、毒親、機能不全家族から生じる生きづらさ

依存問題(恋愛依存、回避依存、共依存)や心の傷やトラウマ、親子問題や恋愛関係などの人間関係のご相談を現在も受けています。過去にはマスメディア出演等の活動経験も有り。>>相談できるカウンセラーの詳しいプロフィールはこちら   

 

 

 

【目次】

 

⑴愛には犠牲がつきもの?!

 

⑵見返りの代償が自己犠牲に・・・

 

⑶無償の愛とはどんな愛?

 

⑷自分の幸せは相手の幸せに繋がる

 

⑸自己犠牲的な生き方の根本的な原因とは

 


⑴ 愛には犠牲がつきもの?!


 

 

カウンセリングの中でよく出てくる疑問の一つに

 

 

” 無償の愛と自己犠牲の愛の違いが分からない・・・

     

好きな相手のことは支えるべきとも思うけど、本当はその自分にも疲れてしまうこともあるんです・・・ ”

 

 

このような思いがありますが、これまでのカウンセリング経験から言えることは

 

 

割合的に、共依存の傾向が強い方から出てくるお話だったりします。

 

 

共依存傾向の方の恋愛や人付き合いは、自己犠牲的な関わり方をする特徴があるのもそうですが

 

 

自己犠牲こそが無償の愛であり

愛には犠牲が伴うもの

 

 

このような捉え方を持っていたりするため

 

 

自分を犠牲にしていることにすら気づいて無かったり

 

 

”善意と犠牲”  の境目が曖昧になりやすいのではないかと思います。

 

 

特に共依存傾向を持つ方は

 

 

相手のために尽くしたい

人が困っているなら助けたいという優しさを持たれている方が多く

 

 

そういった思い自体は、とても素晴らしい思いではありますが

 

 

自分を犠牲にしてまで相手に尽くしているとしたら

 

 

ある意味

 

 

誰かの幸せのために

自分が不幸になっている

 

 

という見方もできますよね。

 

 

自分が不幸になってでも相手を支える事が、無償の愛と言えるのか?

 

 

そのような視点からも考えてみると、なんか違う感じもしますよね^^;

 

 

逆の立場で考えてみるとどうでしょう〜

 

 

あえて分かりやすい言葉を使って表現しますが、自分の愛する人が、自分のために不幸になっている姿を見て嬉しいでしょうか・・・

 

 

自分を犠牲にして

尽くてくれてる姿を見たら

心から素直に喜べるでしょうか・・・

 

 

嬉しいよりも、少し心配になったり、

申し訳なく感じたり、どこか痛々しさがありますよね。。。

 

  

そもそもなぜ、自分を犠牲にしてまで、相手の役に立つ必要があるのか?

 

 

なぜ、自分の心が疲弊するまで相手の気持ちを優先しなければならないのか?

 

 

自分の中のどんな思いがそうさせるのか?

 

 

ここに無償の愛と自己犠牲の愛が分からない自分が出てくる原因が隠れています。

 

 

 

関連記事

 

「共依存の人の恋愛」記事一覧はこちら

 

 


⑵  "見返り" の代償が自己犠牲に…


 

 

自分を犠牲にしてまで相手の役に立つ必要があるのは

 

 

ほとんどの方が無自覚ですが、「見返り」というメリットを求める思いがあるというのが一つ言えます。

 

     

見返りとは例えば・・・

 

 

感謝、愛情、認められたい

必要とされたい、特別な存在になりたい

 

 

 

などがありますが、相手のためにやっていることが、実は自分のためにやっていることでもあるんですよね。

 

 

要するに

 

 

愛情という報酬や、自己価値を高められる自分へのメリットがあるから

 


犠牲を払ってでも、相手に尽くそうと必死になってしまうのです

 

 

     


⑶「無償の愛」とはどんな愛?


 

 

無償の愛の意味とは

 

 

<一切の見返りを求めない無条件な愛> 

 

 

 ですから、自己犠牲の愛との違いが分かりますよね。

 

 

自己犠牲の愛の場合・・・

 

 

「私をみて〜」「私を必要として〜」という裏のメッセージが込められているので

 

 

相手からすると、これはなんか裏があるぞと、素直に届きにくいんですよね^^;

 

 

無償の愛を例えるなら・・・

 

 

飼っている犬猫のお世話をしてあげて

 

 

「私ばっかりお世話して!」とか「私がやってあげても感謝すらしない!」とか思いにくいのは、なんとなく想像つきますよね。

 

 

(例外な人間を除けば。。汗)

 

 

 これが無償の愛に近いように感じます。

 

 

そして無償の愛なら

例え感謝をされなかったとしても

 

 

「自分がしてあげたいからする」

 

 

この気持ちで自分も満たされるはずなんですよね。

 

 

自己犠牲と無償の愛が分からない方は

 

 

相手だけじゃなく、

自分も満たされているのか?

 

 

ここも判断基準の一つとして、確認されてみてください^^

 

 

でも、共依存が強い方の中には

 

 

相手のために生きること、相手の気持ちを優先することが当たり前になっていて

 

 

いざ自分を満すとなると、

戸惑いや引き目を感じてしまうこともあるかもしれせん・・・・

 

 

そのような方は

 

 

相手と同じ量くらい

自分のことも幸せにする

 

 

このような捉え方があることも覚えておいてくださいね。

 

 

<参考情報>

「無償の愛の心理」理論論文

 

 


⑷ ”自分の幸せ”  は  ”相手の幸せ”  にも繋がる


 

 

共依存傾向の人

 

 

<相手の幸せが自分の幸せ>  になりがちですから

 

 

相手のことと同じように、自分のことも幸せにすることを意識していきましょう〜

 

 

それにはまずは・・・

 

 

自分が幸せになる許可を与え

 

自分から「自分」を幸せにしてあげる事です。

 

 

気づいてない方も多いですが、自分の幸せが相手の幸せに繋がることもあるんですよ^^

 

 

分かりやすい例で説明すると

 

 

職場や家の中にイライラしている人

不機嫌そうな人がいたら、周りまで気分悪くなることってありますよね^^;

 

 

ネガティヴと同じように、ポジティブな感情や幸せも伝染します。

 

 

実は自分がご機嫌だったり、幸せな気持ちでいるだけで

 

 

相手まで嬉しくなったり、居心地いいなぁ〜って思うものなんですよね。

 

 


⑸自己犠牲的な生き方の根本的な原因とは?


 

      

自己犠牲的な恋愛

人付き合いになってしまう人の原因として

 

 

幼少期の頃の親やきょうだいとの関わりが関係していることが多いです。

 

 

例えば・・・

 

 

◆母親自身が自己犠牲的な生き方をしていた

 

 

◆子供の頃の自分が、誰かの役に立つことや、親の期待に応えることで、自分の  ”価値”  を認めてもらうことができた

 

 

◆何をしても認めてもらえないという思いを抱えていたため、「何か」をすることで自分を見てもらいたかった

 

 

◆家族の中に不機嫌になる人がいて、常に顔色を伺って過ごすしかなかった

 

 

 

などなど。。

 

 

最初の人間関係でもあった家族関係から学習したことや

 

 

自分以外の誰かのことを気にしなければならない環境に置かれると

 

 

子供は、親よりも自分が幸せになることに罪悪感を持つようになったり

 

 

本当に自分が求めていることが分からなくなったりと

 

 

自分のために生きるという意味すら見失ってしまうことに繋がっていきます。

 

 

そうなっていくと人は、自分の価値を自分で見出すことが難しくなっていきますから

 

 

他者から必要とされること、役に立つことで自分を満たそうと

 

 

他者からの  ”見返りに依存する”  生き方になってしまいます。

 

     

自己犠牲的な恋愛や人付き合いから卒業したい方は、その自分とじっくりと向き合ってみてください。

 

 

自分の心と対話していくことで、必ず解決の糸口が見えてきます。

 

 

自分の力だけでは難しいと感じる方は、自分が疲弊してしまう前にご相談くださいね^^

 

 

 

 

 

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